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遷御(せんぎょ)の儀

公開日: : 最終更新日:2014/04/27 ひとり言, わがまま言い放し

10月2日の式に、私の義兄弟が参加させていただきました。

式年遷宮まめ知識
第六十二回神宮式典遷宮記念切手

早く行こうという義兄の誘いで、早く着かれ、五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、広い神域の玉砂利の上を歩まれると、見上げるばかりの木立は、1300年前もこうであったのかと思うほど、何も変わっていない自然で、いつもの喧騒な神宮とは全く違い荘厳そのもので自然と背筋が伸びた様です。

2時ごろには着席されました。
実況報道の様になりますが、三々五々に参詣者が現れ、総数3000名ですが、殆どお話もされず、荘厳な雰囲気で、4時間自然の中で、ただ待たれるだけでした。
お隣には、何度も来られているという老人がいろいろと得意げに話されていたようです。

午後6時、神楽殿前。薄闇の中、松明(たいまつ)を先頭に正装した神職が次々現れ、150名ぐらいが、目の前を通り過ぎていかれた。
静寂を破るのはザッ、ザッという玉砂利を踏みしめる浅沓(あさぐつ)の音だけであった。

ご神体を新正殿に移す渡御行列が動き出す午後8時少し前に、あたりを闇の世界に戻すため、神域内の明かりがすべて消された。
特別奉拝席を埋める3千人が静寂のなかに沈む。

その時、東の空から西へ、一陣の風が吹いた。
遷御を待つ間、風は絶えずそよいでいた。
しかし、夜のしじまを吹き抜けるその風は強く、木々を揺らし続けた。

参詣者は口々に「風が回った」と話しされていた。「神様が喜んでいるように感じた」。
1人が漏らされた言葉に皆がそう思った様だ。

「カケコー…」午後8時前、天岩戸(あまのいわと)開きの神話にちなむ鶏鳴(けいめい)(ニワトリの声)を機に、遷御が始まった。
西隣に完成した新社殿まで、ご神体、ご神宝を遷(うつ)すのだ。
この間の距離は約300メートル。秋気の中、息をのむ時間が過ぎていった。

若宮社から境内に設けられたお旅所の仮御殿へ、一日限りの外出を楽しまれるご祭神。
闇の中、ご神体「八咫(やた)の鏡」を中心にして、先頭には、天皇陛下のお使いや天皇陛下の長女で臨時祭主の黒田清子さんが並び、秋篠宮さまや戦後初の総理の参拝となる安倍総理大臣や麻生副総理等の一行が神宝を持たれる神職と雅楽者と共に進んでゆく。
「ウオー、ウオー」という神職たちの先払いの声は、夢のような響きであったが、雅楽が奏でられているのを微かに聞こえるようではありますが、何が行われているのかわからない状況の様でした。
ただほんのりとした、光が絹の布の中を通りすぎるのが見えるだけでした。
9時半ごろには儀式はおわり、灯がともされました。

同じ時間帯に皇居では、神嘉殿(しんかでん)の前庭で「遙拝の儀」が行われ、正装の陛下が、閉じられた屏風(びょうぶ)の中で、お一人で儀式に臨まれ、后さまは皇居・御所で、皇太子ご夫妻もお住まいの東宮御所で拝礼される。
私は八坂神社の還幸祭に参列させていただいた事もあり、情景が目に浮かびました。

神宮が1300年続けられたこの公式儀式の自然と共存する生き方は、今後も大事にされねばならない。
世の中は移り変わり、さまざまな形で進歩、発展していく。
古いものは打ち捨てられ、人々の欲望を満たす生活様式が登場するが、一方で、「変わらないもの」や「変わってはならぬもの」も、確かに存在するのだ。
その決意を現代の私たちが再確認するのに20年ごとの式年遷宮は、最高の機会ではないかと思います。

「見えないもの」「変わらぬもの」を信じられることは、日本人の幸せです、それは、いつまでも続いてほしい。

翌日の朝5時の開門時の広場には20年前にはなかった500メートルを超す大行列ができました。
若い世代も多く、彼らの多くが、宇治橋を渡って境内に入るとき、自然と頭(こうべ)を垂れ、手を合わせておられたらしい。
やはり日本人の精神は、伝承されて行くと信じたいです。

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