*

良い文化を取り入れる

公開日: : 最終更新日:2014/04/27 京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言

京都文化博物館で「乾山の芸術と光琳」という催しをされていました。
光琳の事は少し知っているので、乾山とはどんな方なのかという興味が沸いて来て、見に行ってまいりました。
雁金屋という大呉服店のご子息で光琳の弟との事でした。家業を離れ、趣味に生きながら、中国の焼き方や、オランダの絵、 書、兄尾形光琳との共作、漆器の形を陶器にしたり、その時代には考えられなかった陶器だったのでしょう。
京都の料理屋さんには、 これからヒントを取ったであろう器が多く見られます。京都の伝統は、いち早くいい物を取り入れるという先取りの精神があります。

料理に、果物を多く取り入れたり、外国の食材を日本風に料理したり、コピーではなく工夫して取り込む事をしています。
「まねし」と言われる事を極端に嫌います、日本流、 京都流を考えるのです。その努力が伝統を生み、継続されて行きます。
また、そういう逸材を、応援する目利きがいたから、出来た事です。
ヨーロッパでは    貴族がしていたのでしょう。
アメリカは個人財団でしょうか、日本もそんな谷町出現を期待します。

夕方には、本阿弥光悦が工芸村を作って活動していた、鷹ガ峰に行って    遅いカシワのすき焼きの桜宴会に呼ばれて行ってまいりました。ピンク色の桜をお届けいたします。 

そのた

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本人はどこから来たの、その2
2021年1月23日

先日、京丹後市の方から、36000年前の石器が竹野市から偶然出てきたと

日本列島の歴史は?
2020年3月30日

私達の学んだ人類の歴史は間違っていました。最近はDNA鑑定や、物品の歴

日本人はどこから来たの
2020年3月30日

「日本人の両親のもとに生まれた、あるいは日本で生まれ育った人は、ごく自

施設の掲載料雑誌掲載料
2016年8月29日

「雑誌に掲載する写真等の料金はいらないのでは」という事ですが、それ

京都は洛中の人で保たれていた。
2016年7月23日

洛中の旦那衆に依って、寺社やまつりや学校が出来たと書いてまいり

    • 0
    • 68
    • 22,569
    • 2021年9月16日
PAGE TOP ↑