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京都倶楽部 伝統文化リンク
○ 華道
仏教の伝来と発展に伴い、仏前に花を手向ける供花から始まりました。一輪挿しなどに挿した花を愛でる習慣は、古くは平安時代あたりまで遡り、たとえば枕草子などの文献資料からたどることができる。当初は既存の器を利用していたが、後に専用の花器が製作されるようになった。華道としては、室町時代中期、京都六角堂の僧侶により確立された。代々池のほとりに住まいしていたことから「池坊 (いけのぼう)」と呼ばれ、それがのちに流派の名前となる。家元、宗家らによって江戸時代中期にかけて立花(たちばな、りっか; 立華とも書く)と呼ばれる型が大成されていった。その後、江戸中期から後期になるとそれまでの上流階級・または武家階級のものから広く庶民のたしなみへと変化し、生花(しょうか)(せいか)を中心に広く愛されました。
 
○ 茶道
日本のお茶の祖と呼ばれるのは禅宗、臨済宗の始祖「栄西禅師」です。宗の抹茶文化を紹介した「喫茶養生記」や、お茶の種を持ち帰り、お茶の栽培にも尽くしました。茶道の祖といえば村田珠光でしょう。室町時代の中期、東山文化が華美になり、闘茶と言われるゲームや、唐物といわれる、珍品名品を自慢し競う時代でした。そういう貴族の者だけの茶の湯を、四畳半の茶室。唐物に対する和物を使用して、すさんだ精神を正そうとしたのでしょう。そしてその精神的支柱に「禅」という思想、心を加味しました。それを室町後期に商人の町、堺で流儀とか道というものに確立していったのが「武野紹鴎」(たけのじょうおう)です。紹鴎は日用品の器を茶器として使用しました。「侘び茶」の原点です。さらにその弟子利休がこの考えを発展させ、独特の美意識で茶道の理念を確立しました。例えば、「釜一つ あれば茶の湯は なるものを 数の道具を もつは愚かな」はよく知られており、当時の社会では新鮮な思想だった。江戸初期に千利休の孫である千宗旦の三人の息子が三千家を興した。三男宗左は、表千家(紀州徳川家の支援:不審庵四男宗室は、裏千家(加賀前田家の支援:今日庵)二男宗守は、武者小路千家(讃岐高松松平家の支援:官休庵)である。また千利休の弟弟子である剣仲紹智は藪内家(西本願寺の保護:燕庵)を興した。
 
○ 伝統工芸
平安建都より千年もの間、都であり続けた京都は、宮廷文化の雅や町衆文化の粋などをエッセンスにした、さまざまな工芸品を生み出してきました。良い物作りを目指し職人さんたちが匠を競い又コラボレーションをしながら、工芸品を作って来ました。まだまだ手と経験による匠が継承されています。
 
○ 伝統芸能
今から約400年前、京都の五条河原や北野神社境内などで、出雲大社の巫女だと称する阿国(おくに)という女性が、踊りも交え、男装して遊里で遊ぶ様を演じた。これが阿国歌舞伎といわれるものである。そもそも、歌舞伎という字は当て字であって、本来は「かぶく」(傾く。社会の常識からはずれた言動をする)という語から出たものであった。京都での活躍期間は短く、地方に流れていった。その後、京都には、美少年(これを若衆という)を見せる歌舞伎が盛んとなった。しかし、この芸能を愛好した武士たちが、なにかと問題を起こし、承応元年(1652)には、厳しく禁止されてしまった。そこで、次に出てきたのが、成人男性のみで演じる形である。野郎(やろう)歌舞伎と呼んでいるが、女役を男性が演じる今日の形が、以後定着したのである。
 
○ 骨董品
京都旅行の自分へのお土産に骨董品はいかがでしょう。古門前や新門前をぶらりと歩き、店頭をひやかしながら、何かに出会えるかもしれません、一万円以下の物もたくさんあり、お茶碗やお椀やお盆等の生活雑器を購入され、特別な日に家でお使いになったらいかがでしょう、家でおつくりになった料理や、買ってこられた物でも、器に盛りなおすだけで、おいしそうに感じられますよ。和ダンスが洋間においてあるのも落ち着きがあって素敵ですね。外人が日本のたんすを買って家においているのを見ると、親近感が湧いてくる事があります。大量生産で出来た物ばかりの中で、手作りの物にはなにか作者の意図が伝わってくるようです。長い年月を経た物は、いらない物なら、捨てられていたでしようし、未だに残って、貴方に選ばれるのも何かの縁でしょうね。
 
○ 京町屋
京都の町家といえば、一文字瓦、虫籠(むしこ)窓、格子戸など洗練された美しい外観、そして何より「ウナギの寝床」と表現される、間口が狭く奥行きの深いつくりが特徴です。これは昔、間口の幅によって税金がかけられていたためなのだとか。 表通りから眺めるだけでは、町家の内部の様子はわかりません。に入ると坪庭や蔵などがあり、表通りの喧噪が嘘のような静けさに包まれています  細長い通り庭、台所の吹き抜け(火袋)、そして坪庭。何げないスペースに見えますが、そこには先人たちの知恵が詰まっています。通り庭は靴を脱がずに通り抜けできるので、人の出入りや商品の搬入などがスムーズにできただけでなく、風の通り道としての役割も果たしていました。火袋の天窓は煙を出し、室内に陽光を採り入れます。同じように坪庭も、採光と通風をよくするための工夫でした。こうした優れた機能も、町家の魅力のひとつなのかもしれません。

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