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祇園祭 −久世稚児−
この四十年間、毎年祇園祭を撮影してきました。十万カット以上は撮ったでしょうか。かといって、祇園祭はすべて揃ったかといえばとんでもない。撮れば撮るほど、撮ってないものが沢山あることに気付かされます。祇園祭は実に奥が深い。この四十年で分かったのはそのことです。しかも毎年新しい発見がある。まだまだ道なかばです。
祇園祭は祇園さん(八坂神社)の祭礼行事です。宵山(十六日)や山鉾巡行(十七日)が中心行事に思われがちですが、実はそれらは一部にすぎない。吉符入り(一日)から夏越神事(三十一日)まで七月の一ヶ月間、ほぼ連日のようになんらかの行事が行われます。そのすべてが本来の祇園祭です。そういう視点から捉えると、アマチュアカメラマンの方も撮影の楽しみが倍増するのではないでしょうか。
あまり表面に出ない秘められた部分を撮る。それが私の祇園祭のテーマ。そのひとつが久世駒形稚児です。私が久世稚児に出会ったのは大学時代の恩師、林屋辰三郎の著作『歴史・京都・芸能』がきっかけです。―――上久世の南端には、綾戸(国中)社という古い小祠がある。この社から毎年の祇園会に、上久世の駒形稚児という稚児が社参して神輿に供奉するならわしがある―――。こういう一項でした。
久世は私の住む向日市からすぐ隣の地。私には久世稚児はすごく身近な存在で、お稚児さんが白馬に乗って行列するのをよく見にいったものです。私にとって祇園祭の原風景はこの久世稚児にある。この林屋先生の一文を読んで、そのころの記憶がよみがえりました。久世は祇園さんの氏子地区から遠く離れている。にもかかわらず、なぜこれほど重要な役割を担うようになったのか。不思議に思って自分なりに調べ始めました。
国中神社のご祭神は祇園さんと同じスサノヲノミコト(牛頭天王)です。ところが八坂神社は和御魂で国中神社は荒御霊。つまり、国中神社のご神体である駒形を八坂神社に移し、和御魂と荒御霊が合体することで祇園祭が成立する。それほど久世稚児は格式が高い。八坂神社の境内では「皇族下乗」といって皇族でさえ馬から降りなければならない。ところが、久世稚児は馬に乗ったまま境内に入ります。 ご神体とともに社参することで、稚児自身が神と見なされるわけです。久世稚児が登場するのは神幸祭(17日)と還幸祭(24日)の二日間。両日とも、騎馬で三基の神輿の先導役を務めます。戦前までの、神幸祭は、長刀鉾稚児と久世稚児が連れだって参加するという場面も見られました。これこそがまさに「神事としての祇園祭」の象徴です。いまはすっかり様変わりしましたが…。
かつて神事には厚いヴェールがかかって、とても撮影などできませんでしたが、近年はずいぶん公開していただけるようになりました。とはいえ、祇園祭は一人で撮影できるものではありません。いろいろな行事が同時進行で行われる。とくに山鉾巡行は、スタートと同時に三十二基が一斉に動き始める。いわば競馬のレースみたいなものです。そういえば最近、カメラマンのマナーが気になります。 少しでもいい写真を撮りたいという気持ちはわかりますが、被写体、つまり祭りの執行側のじゃまをしてはいけない。これは写真を撮る際の最低限のマナーです。少し話が脱線しますが、中学(京都二中=現在の鳥羽高校)の学友で映画監督の大島渚くんと「撮影にはマナーとルール、それに予備知識が必要」と語り合ったのを覚えています。これからのデジタルカメラ時代で、取材や撮影には、ますますこのことが重要になるのではないでしょうか。
祇園祭は京都の歴史そのものです。京都の歴史を知ることは、日本の歴史を知ることです。しかも、山や鉾は「動く美術館」と言われるほど、世界中の美術品が鑑賞できる。つまり、世界の歴史の一端にさえ触れることが出来る。祇園祭の史料を調べるとまだまだ謎は多いのですが、だからこそ祇園祭は面白い。自分なりの仮説を立てることも出来る。私にとっては壮大なドラマ、文学、あるいは小説のようなもので魅力は尽きません。この季節になると心が騒ぎます。今年も、終わりの無い小説を一行でも二行でも書き進めようという声が、私の中から聴こえてくるのです。
西山 治朗
西山治朗(にしやまはるお)
昭和七年京都生まれ。
京都市役所在職中の四十年前から現在に至るまで祇園祭を撮影し続け、数々の写真集を刊行するほか、写真展を開催。 一方、十数年前から久世駒形稚児に興味を持ち研究論文を発表。京都府向日市在住。日本写真家協会会員。
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