孔子の末裔
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最終更新日:2014/04/27
ひとり言, 頑固おやじのひとり言
孔子が産まれたのは紀元前551年、2560年以上続いた家系です。
この間国王が変わっても継続して来ました。それは、権力を持ったためではなく、一品官(貴族でも最高位)であったが、政治の実体に関わらない(祭儀職)、日本でいう皇室の儀典長なものであったためです。
ずっと同じ事をしている訳ですから、能力もあまり問題では無しに、世襲制でやってこられたから、80代も直系でつづいていると言われています。
孔子の教えも「述べて作らず、古を好む」といい、先人の聖賢の道を集大成したものの様です。そういえば論語は「子のたまわく」から始まりますね。
その末裔の方が書かれた本をいただきました。 「私の中国、私の日本」孔 耀信著。
孔さん一家は、文化革命(1966年)の末期(74年)から労働者が国の指導階級になりコントロールし始めて孔子批判が起こり、日本の赤狩りの様に粛正された様です。
学校教育もされず、大学も閉鎖されていた時期もあり、未だ中国の文盲率は、厳しく査定すれば30%ある様です。
映画も本も極少で、映画も反日が多く、それを何度も見る訳ですから、反日になってもしかたなく、それに異論を唱える事はタブーな状況です。
しかし実情は日本語能力試験は英語能力試験よりも、受験者が多く、申し込みが殺到しています。自国民をも迫害したりするのが、当たり前の国であり、反日教育で育っていますから、現在日中間で起こっている諸問題は想定内です。
その彼が日本留学をして見た日本は、農民が土地を持ち、企業では、労働組合があり、終身雇用、職業の自由、年金、健康保険等、毛沢東らの追求している社会でした。
大手流通業に就職し、日中合弁の百貨店の計画段階から最後まで、日本企業所属の社長補佐の中国人となり、中国行政機関、中国人パートナー、日本企業との交渉役をされ、日中の認識の違い、日本の大企業の表裏等を経験され、その経験を活かし現在では、日中ビジネス交流のコンサルタントを大阪でされています。
一番の日本人の弱い所は、リスクから逃げる、争わなくて泣き寝入り、平和ボケ、日本のあるべき姿、あるべき存在を明確に確保しないと、終わった国になりますよと締められていました。