令和三年 京都祇園祭は古式にのっとり執り行われます

蘇民将来が何故疫病退散?

牛頭天皇(スサノオ命)がお嫁様を探す為に、全国を旅行していました。その一行が宿を探している時、里の長者(お金持ち)の家の巨旦将来(こたんしょうらい)に宿を願います。しかし巨旦将来はそれを断ります。また、宿を探していると、貧乏な家でよければと、蘇民将来(そみんしょうらい)が家に泊まっていくことを快諾します。

貧しいながらも牛頭天皇を粗略に扱わず丁寧に対応をしました。

牛頭天王(ごずてんのう)はその慈悲深い心に感動して、玉を与えます。そして、牛頭天王は宿を後にして竜宮城へ入り、龍神の3女の婆利采女と婚約し、八人の御子(八王子と言う)を産み、八年間も竜宮城にとどまりました。

そして、元の国に帰ることになり、また蘇民将来の住む里を通ると、蘇民将来はおお金持ちになっていました。

巨旦はその蘇民将来を妬んで、牛頭天皇を家に呼ぼうとします。しかし、邪心に溢れた巨旦将来には蘇民将来のような良いことは起きませんでした。

そこで、巨旦将来はそれらの厄災の原因が牛頭天皇の神罰であることを知り、それらを取り除こうと、1000人の法師を集め般若心経の大講読会をしました。このことを知った牛頭天皇は、この講読会に乗り込み法師たちを蹴り殺してしまいます。

牛頭天王は除厄招福の神でもありました。

蘇民将来は巨旦将来の娘の一人は、赦してあげてくださいと牛頭天王に言います。そこで、牛頭天皇はその娘一人は助け、残りは蹴り殺してしまいました。その後、牛頭天皇は蘇民将来にこのように伝えます。「茅萱の輪をつくり、蘇民将来の孫と書いたお札を飾りなさい。そうすれば厄災を除くことができます。

この茅萱の輪が、現在神社に飾られる茅の輪(ちのわ)の起源となり、厄災除けのご利益があると言われるようになりました。