祇園の景観
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
八坂神社の門前が祇園、赤塀の一力の南側が祇園南、未だにこのあたりは木造二階建てお茶屋造りが並んでいます。
この地域は明治初期まで、建仁寺の竹藪だったのです。 その時の知事が2万坪の都市計画をしたようです。
村井さんという有名なタバコ王が建築した邸宅で、氏は東山に大文字の様に山にタバコの広告をした方です。
この地域には未だに200軒のお茶屋、料理屋さんが軒を並べています。
ここの土地は、芸舞妓さんの学校女紅場や、寺社所有であり、土地賃貸でなりたっています。
この土地の管理人さんも代々の不動産屋さんで、地代徴収されています。
しかしながら、借地権は個人所有の為、売買は出来るのです。
不動産バブルの時に危機が訪れました。破格の値段での買い希望者が現れたのです。
高さ制限は20Mであるから、7階建ても可能となる訳です。
景観を守るために、祇園の住人は自主規制をすることとなりました。
商売も祇園町にふさわしいもの、つまり飲食遊興インフラならOK、現状保全の建物、 増改築も承諾制等規制を厳重にかけました。
当然、土地価格は下がりました。
借地のところは、相続税も少なくすみ、継承しやすくなっています。
景観を守るために自己犠牲をされたのです。
15年前ぐらいには、電線の地中化も市内でいち早く行い、今では、世界中から観光客が訪れ、芸舞妓さんとすれ違うのを、映画の1シーンの様に見られています。
景観や、地域特性を守るために、自己犠牲する、祇園を愛する人達が協力を惜しまず、知恵と努力を結集されたのでしょう。
やはり祇園は世代間決算でしょうね、頭が下がります。
- 1つ前
- 長楽館(村井吉兵衛)
- 1つ後
- 日本人はどこからきたの