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人材活用  

公開日: : 最終更新日:2014/05/02 わがまま言い放し, 京都ってこんなとこ

明治維新の京都は、首都が東京に移り、人口も激減した。
その抜け殻の様になった京都を近代化させたのは、長州人の槇村権参事と、幕府側の会津人の、前にご紹介し た『八重の桜』の山本覚馬です。
槇村は、勝者の一員として、思い切った策が取れ、覚馬は、京都との調和を計る。いいコンビでありました。
しかし、二人共京都をどのようにするかの具体案はまったく持っていなかった。

それに応じたのが、生粋の 京都人で、医薬商の息子で、京都で最高のレベルの和漢洋の医学と科学を学んでいた明石博高でした。
戊辰戦争の時に、敵味方なく傷の手当をしていたためそれを認められ、大阪に公立病院が出来たとき、薬局主管という役人になっていました。
また商人であったため、人の先頭に立ち、集団を組織する才能にも恵まれていた。
この明石を「面白い事をやりそうだ」と目を付けたのが、覚馬でありました。

「我々は行政の出来る事と資金を担当するから、好きなようにしてくれていい、貴男を全面的に応援する」と言ったのでしょう。
明石の行った多くの事業には、共通項が見られる。

①もともと京都にあった苗を、育てていく。
②沢山人が集まるテーマと場の提供
③規模にこだわらず、成功例を多く作る。

円山のしだれ桜も、切り取られるのを、買い上げ、結果的に後の円山公園のシンボルとなったり、清水寺の焼けて贋作を置い開山堂においておられたのを、田村麻呂の木像をの本物を探し、開山堂におさめたりしている。
古いものを少し手を加えて、新しいものへと継続していく。これが得意技であったようです。

明石の事業としては京都博覧会、府立病院、舎密局、梅津製紙場、観光と湯治の為の吉水温泉、和装振興の為の織殿、図書館等と多種多様です。

それを次の北垣知事は、琵琶湖疎水計画の為に、明石が着手した事業を民間に払い下げた。
この疎水が出来たため、水道等の都市インフラが整備され、おまけに水力発電で電力供給も出来る様になり、新しい企業の誘致のインフラ整備も進んだ。

イトーヨーカドーの伊藤社長が、コンビニ計画を鈴木役員が重役会議で否定されたのを、社長直属で鈴木さんに任され、セブンイレブンの成功があったとお聞きします。
ノウハウでは無しにノウフウですね、もう一度日本企業は考えなおさねばと存じます。
合議制だけではなく、「やってみなはれ」ですかね。

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