祇園祭 蘇民将来子孫也

祇園祭とは

平安時代の京都は、その地理的特徴から、長雨の続く梅雨の時期になると、京都盆地は洪水に見舞われたり川がが溢れるなどで、都が水浸しになり、その結果「疫病」が流行し、多くの人々が命を落としました。京都を都として実質的に日本を支配していた天皇や貴族たちは、梅雨の時期に人が死ぬ原因を、政治の争いで自分たちに敗れて死んでいった人たちの祟りと考え、その霊を慰める祭りを盛んに行いました。怨霊をなだめ、疫病がこれ以上蔓延しないように祈願する祭、これを「御霊会(ごりょうえ)」といいます。

貞観11年(869)には疫病が大流行したため、朝廷は神泉苑(二条城の南側に位置する京都市中京区にある東寺真言宗の寺院、祇園祭発祥の地。)いつもは、天皇や皇族専用の庭園であったが、この日に限り、門が開かれて、一般の人々も御霊会に参列することができました。当時の日本全国の国の数にちなんで66本の鉾(ほこ)を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて、災厄が取り除かれるよう祈念しました。

鉾とは元来神の依り憑くもの(よりしろ)と考えられていて、後で燃やしたり壊したりして、依り憑いた疫神などを退治したとされます。(長刀鉾などの最上段に飾られているのが鉾です。)



その祭の一つが、東山の麓に鎮座している祇園社(現八坂神社)で執行された、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)でした。 氏子達は故事に従い蘇民将来子孫であるとし、疫病退散の粽(ちまき)を門戸の前に飾り、疫病除けといたしました。梅雨の最中の旧暦6月7日(現在は新暦7月17日)に、祇園社(現八坂神社)から3基の神輿が出発し、京都市中を練り歩き、町中の御旅所に7日間鎮まり、6月14日(現在は7月24日)に再び京都市中を巡行して、祇園社(現八坂神社)に戻ります。これが祇園祭の起源とされています。

旧暦6月7日(現在は新暦7月17日)に巡行されるのを神幸祭といい、旧暦6月14日(同7月24日)に再び京都市中を巡行することを、還幸祭といいす。

令和3年 2021年祇園祭 スタッフレポート総集編

7月31日に八坂神社境内の疫神社での夏越祭をもって、2021年の祇園祭は締めくくられました。楽しみにしていた祇園祭に行く事が叶わなかった方も多いと思います。
2021年という特殊な年の祇園祭がどの様に斎行されたのか、スタッフの実体験レポートでご紹介します。

7月14~16日 前祭(さきまつり)宵山

2020年の祇園祭のときとは違い、今年は全山鉾のうち約半数が建てられました。 釘を使わず縄だけで鉾を建てるための技術等、祭の伝統を継承するのが目的です。

実は、路上には鉾建てを行うための目印や柱を差し込む溝となるものがあるんです。 鉾建てに入ると、毎年信号が折りたたまれる作業風景が話題になりますが、実は一部のガードレールも取り外されることを初めて知りました。 公民揃って祭を支えているんですね。


宵山のお昼間に、鉾町を自転車でささっと一周しました。浴衣を着た老若男女も、思ったより歩いています。日傘を手に通りかかる舞妓さんの姿には、清涼感すら漂います。


今年もお飾りだけの居祭をする会所、完全に門戸を閉ざしているところ、予約制のところ、お供えをして粽やお守り等の授与だけを行っているところなど、各町会所により様々。ご神木のみ立てている山もありましたが、こういう装飾を廃した形も悪くありませんね。時折お囃子が聞こえるのはやはり嬉しいもの。見上げる人の顔もほころびますね。


今年の粽はインターネットによる授与が推奨されていますが、買い物カートを押すご年配の方が新しい粽を下げている姿を見かけました。連休前でおおむね各鉾町は人気もまばらだったので、こういう方々のためにも何カ所かは対面で対応して頂ける場所は必要かと実感しました。


月鉾の囃子方さんがたくさん歩いて来たので、もしやと思いついて行くと、やっぱりお囃子が始まりました。コンチキチン♪の鉾は、通っていた幼稚園で折り紙と竹ひごで作った思い出があります。

7月17日

本来なら前祭の山鉾巡行が行われるはずだった日。代わりに各鉾町の代表者が裃姿で榊を手に、2日のくじ取り式で決められた順番で四条御旅所に参拝しました。

知人の話によると、鉾ではなく徒歩での巡行だったので、三条通りを通過する古来の巡行ルートを練り歩き、本来ならくじ改めをしている場所で、市長と共にくじ改め(今回は「くじ渡し」だったようですが)もされていたそうです。


歳時記を大事にしている京都人の友人は、祇園祭の季節に入ると「したたり買って帰ろ!」「今年まだ稚児餅食べてない!」と大騒ぎ。 確かにそれぞれ美味しいので好きですが、まあ忙しいこと。
(ちなみに、私は今年は「たん義」のはも丼をお持ち帰りしました) 「たん義」のはも丼


長刀鉾を通りかかると、なんとほんの少しだけ、鉾を前後に動かしていたのです。終わった後は拍手が沸き起こり、ついつい、そのまま鉾の解体に見入ってしまいました。


時折休憩を挟みつつ、装飾品は町内の人達、木組みは大工さんが担います。抜けるようにからっと晴れ渡った青空に、縄くずがちらほら雪のように舞っていました。 


水筒のお茶を飲み干したので柳の水を汲みにいく道中、あちこちに生えるように増えたホテルの傍らで、売り出し中や取り壊しかけの京町家が垣間見えます。

これもまた、京都の一面です。 柳の水


一方、八坂神社境内からは神輿の代わりに神籬(ひもろぎ)を乗せた白馬が四条の御旅所まで歩き、ここから24日まで各氏子地域を練り歩く「御神霊渡御祭」が始まりました。

7月21~23日:後祭宵山

知人たちの話によると、後祭でも曳き初めや能楽堂嘉祥閣での「祇園祭 宵山能」、山伏による護摩焚きが行われたそうです。今年は連休と重なったため、前祭よりも人出が増えていたようですね。

7月24日

神籬を背に氏子地域を歩んだ神馬は、祇園祭発祥の地・神泉苑や又旅社を経由して八坂神社へと帰還しました。


神社の石段下では、輿丁達や祇園の花街の方など、祭神を待ち侘びた人々が「ホイット、ホイット!」の掛け声と手拍子で迎えていました。陽が落ち、榊を神輿に返して、ここから神霊を本殿に返す儀式が行われます。


時が満ちて消灯。一斎が沈黙し満月の光だけに照らされた暗闇のなか、本殿からは手招くような琵琶の音色が聴こえてきます。誰一人言葉を発しない境内だと、水が流れる音が聞こえる事を初めて知りました。白布の向こうでほのかな光が動き、神霊は本殿へと還られました。


世界的な疫病の流行下で、疫病退散の祭を多人数で行う事が正しいのかどうかは分かりません。「文化を継承する」のも、「神に祈りを捧げる」のも、あくまで人間の都合だからです。取材に際しては様々に注意を払っておりましたが、それでも人の密集が避けられない瞬間は何度かありました。 自分もその一因である事は間違いありません。


祈りを届けるために天地を繋ぐのなら、鉾と神木を立てるだけでよいところを、集めた財によって舶来品と匠の技の結晶で飾り立てた山鉾の姿は、まさに「町衆の祭」の象徴ですね。


儀式の間に感じた、暑さを感じないほど穏やかな夜風。にわかに本殿側だけ踊っていた提灯。 藍色の空に顔を出した神々しい満月。


複雑な心境とこの清々しさを、どう捉えたらいいのだろうと、ぼんやりしながら社を後にしました。

◎動画で観る祇園祭2021年はこちら(順次アップしていきます) こちら