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僧侶と花街と舞妓

公開日: : 最終更新日:2021/04/22 井上章一さんに物申す, 頑固おやじのひとり言

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井上さんが舞妓の事を舞子と書いておられる、芸者についてはうんちくは書かれていたので、何か思惑があるのかなあと考えていたら、芸妓を芸子と書いたりされています。京の花街の事を書くなら舞子と書く恥ずかしさを心得ていただきたい。お坊さんが芸舞妓さんと、僧服を着て食事をされている事に違和感を抱かれたみたいです。私は背広姿よりいいと思います。何か本山で行事があって、末寺から泊りがけで僧侶が来られているのかもしれません。地方の僧侶は地元では顔がさすので、遊びにくいでしょう。また、自坊の檀家を連れて、本山と京都観光に来られる事もあるでしょう。京都の花街で顔が効く事は必要でもあります。お茶屋さんなら個室ですから問題はなかったですね!元々祇園町は、明治の始めまでは、建仁寺か八坂神社の敷地であったのを、廃仏稀釈令によって、政府に取り上げられたのを、旦那衆が掛け合って八坂女紅場のものになっています。

当時の政治家達が、よく利用していたので、払い下げされた様です。明治の政治家の末裔もかなりおられる様に聞いております。京都の仏閣は、貴族や徳川家や諸大名の資金で改修されたり創建されていますから、その方達の接待にも使われていたのでしょう?伝統工芸や芸能も花街と相関関係で成り立っています。井上さんも、伝統建築や庭園、染織、木彫、鋳造、金属加工、修復技術等も寺社のおかげで技術が受け継がれたと記載されています。花街のランニングコストは僧侶を始め伝統のある所で賄われているのでしょう。若い僧侶の中には、お寺の存続の為にいやいやながら、厳しい修行して僧籍を取られた方もおられるでしょう。私服で同窓生等とキャバクラで遊ぶことぐらい許して上げたらと存じます。私も祇園でお友達になった僧侶も少なからずあります。

今では節度あるお付き合いさせていただいております。

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