史跡の中で
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
私の生まれた所は、豊臣秀吉を祀る豊国神社の正面の通りで、秀吉の像があり、神社の隣は、方広寺(木造大仏と国家安康の鐘)、この石垣の石は、岩の様な大きさで、四国から運んで来たとの事です(伏見桃山時代)。
その南北にはしる道は奈良に続く大和大路、朝鮮征伐の戦利品の耳を埋めたという耳塚、石川五右衛門の宅、その周りには、茶屋町、大黒町、本町、鞘町、塗師屋町、大坂町等があります。
豊国神社の前では、扇子の骨が干され、竹を細かく切る作業所や、大きな酒樽を路上で作っているところがありました。職人さんが多く住む町でした。
私は京都のダウンタウン生まれと言っております。その地域で遊び回り、日吉神社や、将軍塚、 清水寺まで行き、音羽の滝で口を潤し、舞台 の下の石垣を登ろうとしたり、茶碗坂を通り、陶器の窯の煙を見ながら、よく歩いたものです。
そうそう、国立博物館に侵入し、ザリガニ取り等をしました。その横にはロダンの考える人が座っていました。
鴨川の橋を渡れば、五条楽園があり、橋の際には、お寺の鐘を作る所があり、任天堂の旧本社もありました。
24歳で下鴨に移り、下鴨神社の寺社領であったのか、高殿町、夜光町、梅ノ木町、北泉通り、松ヶ崎等の地名に囲まれていました(平安時代)。
現在は三条通りですから、寺町、御幸町、富小路、柳馬場、姉屋小路、六角(池坊)(江戸時代から現在まで)。
毎朝散歩に鴨川に出かけるのですが、本能寺、長州屋敷(ホテルオークラ)立誠小学校(土佐藩邸) 龍馬が滞在した酢屋、暗殺された近江屋、少し北に歩くと、京都御所、その北側が同志社大学(薩摩藩邸)友人には、現在の新選組や、坂本龍馬もおられます。
いつの時代へもタイムスリップ出来そうです。
もっと歴史を勉強すれば、楽しくなるでしょうね!