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大文字の送り火

公開日: : 最終更新日:2014/04/27 京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言

送り火の起源は平安時代初期や鎌倉時代等、明確ではありません。
http://kyoto.nan.co.jp/knowledge/daimonji.html 

今年は陸前高田市から松の薪を送っていただき送り火にするのに、セシウムが含まれているので、燃やすか燃やさないかという意見は続出したのですが、結局は燃やさないで送り火は始まりました。

私は銀閣寺の行事の様に思っていましたが、これはあくまでの民間(地域)の行事であり、行政は介入出来ません。
大文字の火床は五山で300以上あり、それを、個々に管理運営される家族が代々おられます。
娘さんしか出来なかった家は、養子縁組みをしないと、火床は継続出来ません。
火床の場所も決まっています。春には、薪を山の小屋に運び、送り火の日まで乾燥させます。私も一度運ばさせていただいた事がありますが、慣れない者には重労働です。

何度か送り火が諸事情で点けられない時があったようですが、戦後はずっと続いています。今は勤め人も多くおられ、継続が大変な様です。

今年、世界文化遺跡に登録された岩手の平泉も大文字の送り火を継続されています。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110817ddm041040012000c.html 

大船渡市では大震災を契機に、盆に迎えた先祖の霊を送り出す送り火が約60年ぶりに海岸でたかれ、地元住民らが津波の犠牲者に鎮魂の祈りをささげられました。
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110816000101 

京都では、東北で集められた、メッセージが書かれた護摩木を、明け方までかかって地元の人が、京都の護摩木に書き写されたそうです。 保存会の精一杯の誠意を感じます。
陸前高田市からの野菜はお供えとして16日夜に山に持って上げられお供えされました。
当然新しい護摩木は、火床の一番上で燃やされました。

「災い転じて、福となす」 。
地元の誠意と努力が、岩手の方達に伝わって欲しいですね!

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