葵祭と同時期に、日・中・韓の首脳会議が行われた。
FTAの年内交渉開始の合意がなされた。
尖閣列島問題等があり胡主席との個別会談は無かった。
二国間の利益相反の問題は、公の席では、双方の意見を認める事はしないし、お互いの国内の地位も不安定なのだから、会談しても意味の無いことでもあるからしようが無いと思うのだけど、お互いの立場を考えたら自国の不利に成る事を言う筈が無いのだから。
実は国際的には「日本人が特殊な考え方をする」なのである。
だから、日本の基準で外国を見ることはナンセンスです、世界の歴史を勉強すれば分かるだろう。
「話しをすれば理解出来あえる」という人がいますが、ありえません。
個人的に理解はしていただいたとしても、国を代表する人は、正義より自国の利益に成るようにしか動けないのです。
先進国は幾度も殺し合いをして領土を取って来た歴史ばかりですから、勝ったリーダーが英雄であり偉人なのです。
上賀茂神社を見ても、朝鮮王朝の王宮のようですし、神主さんの衣装も韓国歴史ドラマの高官の衣装、「流鏑馬」等は騎馬民族の儀式の様な物です。
すべてが王朝絵巻の様なもので。時代まつりの様な武者行列は無かった様に思えます。これはほんの一例ですが。
京都を注視すると、渡来人の影響ばかりで、どれが純粋の日本の物か分かりません。
日本のように「島国」で「単一民族と思っている国」の場合、世界のどこにでも「国」があり、その国には同じ「民族」がずっと住んできた歴史と思っていますが、地続きの為か侵略者による歴史ばかりです。
中国はチベットやモンゴルの人が皇帝になったり、漢人では無い満州人が皇帝になっています。
朝鮮も北の狩猟民族が最初に侵略して住みついたり、中国系の人が戦争で勝って国王になったりしています。
日本もBC7世紀頃には西アジアの民族が住み着き、日本の原住民と混血して、BC2世紀頃には、中国のユダヤ系中国人の秦の始皇帝が亡くなる頃、有名な秦族が日本と韓国に移民しました。
紀元5世紀から6世紀にかけて、日本で住んでいた人の半分の150万人が、中国や朝鮮の戦禍から逃れる様に移住されてきて人口が増え、殆ど帰国されないで日本に住み着かれて混血を繰り返したのです。
3世紀から5世紀には、韓国南部に日本が統治する、加羅(任那)があった。
しかしこの頃の日本人はどんな民族だったのでしょう?
日本は地勢的に海に囲まれていたから、外敵から守られていたのです。
母国から逃げて来た人ばかりで。戦争の怖さを知っていたためか、総人口が激減するような大きな殺戮はおきなかった。平和を望む民族となっていたのでしょう!
「そんな国は世界に無い、特別な国なのです」
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=86