日本人と神道 1
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最終更新日:2014/04/27
ひとり言, 頑固おやじのひとり言
今年、出雲と伊勢の式年遷宮の年に当たり、新聞記事などで取り上げられているのを見て、もう一度日本人とはを考え直しております。
「貴男の宗教はと聞かれて」答えに窮していた私は、ようやく、神道は宗教では無く、日本人の精神文化と理解する事になりました。
ある宮司さんとお話したところ、教義や経典が無いんだよ神社は、みんなが助けを求めに来る象徴でしかないとおっしゃられました。
そう考えれば、自分勝手にお参りしたり、お祭りに参加させていただいたり、地鎮祭や方位除けの為に、神職の方に来ていただくばかりで、こうしなさいとは言われなかった。
正月を祝い、節分で厄を払い、ひな祭りと端午の節句で、子供の健康を祈願し、祇園祭で厄払い、新嘗祭で、五穀豊穣を願います。
それも手を合わせ、柏手するだけです。
仏教は違いますね、先祖に感謝をしたり報告するだけで、先祖にお願いをするわけで、個人の家が単位になるかと存じます。又、宗派も菩提寺も先祖から決まっています。
日本人の心の中には戒律の様なものはないです。しかしながら、先祖を敬い、他人に迷惑を掛けない、感謝をする、助け合いをする、分かち合い、盗まない、約束時間は必ず守る、決められたルールは守る、清潔な暮らしをする、争わない、モノを大切に する、ねたまない等と社会生活の中で、自然に教えら根付いていました。
「信仰」ではなく「日本的な価値観への強い共感」であると思います。
神道とは「誰かの教え」を尊ぶのではなく、神は自然を現したものであり、神職はそれらと人を結ぶ「なかとりもち」であること(天皇陛下はその最たる存在)、本質は実感と共感によって個々が獲得するという神道の実践的特色から得られるものでしょう。
戦中世代と彼らに育てられた団塊の世代には、国家神道は非常に大きな影響を与えられてきたものですが、右翼思想等と呼ばれ排斥され、西洋合理的な考えが蔓延しました。
私が正論と思う人だけを、評価いたします。
それ以降の世代である40代以下の人は、完全に戦後教育で育ち、国家神道的な影響を受けずに育ってきた者も多いです。
感情的な影響を受けないと同時に、「日本的なもの」から隔離されて育っていますので、神道的な考えは古臭いもとしてとらえる事が多く、西洋精神が新しいモノとして迎合され、日本の精神性に対してはアンチであり、左翼的なインテリとしてもてはやされました。
そして個人主義的な、権利を主張し、利己心を満足させる世代となってしまいました。
また高度成長期、古くからある「地縁」よりもむしろ企業による「社縁」の中で生活してきた親世代の影響で、地縁をないがしろにしてきた様に思えます。
そして、東北大震災、原発、領土問題等世界と日本人の違いが顕著になってまいりました。これから、数回に分けて、日本人とはを、私の思うことを載せていきたいと存じます。