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日本人と神道 2

公開日: : 最終更新日:2014/04/27 ひとり言, 頑固おやじのひとり言

日本には街中や、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。
このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。

私は上賀茂神社の宮司さんに、このお宮さんの起源はいつですかとお尋ねした事があります。
社が建つたのは1300年以上前ですが、後ろの神山にはもっと昔から信仰されておりましたとお答えになりました。
どうしても、私は目に見える社殿の創建の事を考えます、それ以前は、山や岩、森、古木、水等の自然を敬っていました。 古代、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。
自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。
人々は、そんな自然現象に抗えるものではなく、自然との共生を選びました。
暦は二十四節季で、自然現象で区切っていました。

神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。
さらに、国家や郷土のために尽くした偉人の御霊も、神として祀られました。

神道の信仰が形となったものが祭りです。
祭りは、神様に人間の出来ない事をお願いする事です。
神社だけではありません。皇室では、天皇陛下が毎日、国家・国民の安寧と世界の平和を祈るお祀りを行われています。
また、家庭では、神棚の前で家の安全、家族の無事を祈ります。 これも小さな祀りといえます。

神道のもつ理念には、古代から培われてきた日本人の叡智や価値観が生きています。
それは、鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには皇室をいただく日本という国の限りない発展を祈ることなどです。 このような理念が、神々への信仰と一体となって神道が形づくられています。

また、神道には又、清浄を尊ぶという特徴があります。
神社は常に清らかさが保たれ、祭りに参加する人たちは必ず心身を清めます。
これら神道の理念や特徴は、日本人の生き方に深く影響しているといえるでしょう。
神道の行事は日常生活のいたるところに見かけることができます。
しかし、一般の日本人は、あまりにも身近なせいか、神道行事という感覚は薄いです。

明治維新後、日本は欧米など西洋文化を追い求め、近代化への道をひた走りました。
第2次世界大戦の敗戦を機に米国を中心とした欧米文化の吸収力は、単なるあこがれや模倣ではない自国文化として昇華し、その原動力は経済大国といわれるまでになりました。

一方で経済、文化などのグローバリズムがすすむ中で、昨今の混沌とした空虚感に満ちた世相を顧みると、我々日本人が悠久の歴史のなかで培ってきた“心”までも捨て去ってしまったのではないかとさえ思われます。

我々が置き去りにしてきた“心”とは、たとえば“大自然”にいのちが宿るとする“山川草木悉皆成仏”の考え方であり、質素な生活を心がける“始末のこころ”、四季を通して自然と共生し生活する“生き方”、 道徳観や倫理観など人格形成に影響を及ぼす“しつけ教育”や、“読み書きそろばんなどの基礎教育”、合理化を追求することで失われた“もてなしの心や遊び心”です。
この心を取り直すための教育が日本に必需になると思われます。

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