人の歴史
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京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
紀元前5C頃、倭?の人口は20万人ぐらいだったでしょうか?
それが、地域により、群って住んでいたのでしょう。
群れ村に別れて全国に散らばっていました。
失礼ではありますが日本の原住民といわれる人です。
紀元前6世紀ごろ、ユダヤが分裂して、安住地を求め東へ東へと、進み蒙古から中国に入り日本に来ました。
海のルートで来た人もいます。直接来た人もおられたのでしょう。
シルクロード沿いのところで、安住されている方もおられるでしょうが、そこから又流浪の民となり、何世代かで日本に到達された人達もおられます。
それは北は東北南は九州まで・・・又、中国の秦の時代紀元前2Cに秦の没落前後に、移住してきた人達がいます。
又、韓国経由でDC200年ごろ、戦乱の韓国から渡来してきた文化人が秦族、それと前後して朝鮮から続々と人々が移住してきました。
京都人には大陸の血が色濃いのです。
つまり混血を繰り返ししてきている民族なのです
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb412.html
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/tokehon.htm
やがてこの地が都となると、千年以上にわたって天皇が住むことになりました。
王城すなわち、権威と権力の中枢です。
あらゆるものは京都に集まり、ここから全土へ発信され、 庶民にも都人としての気位(プライド が形成されていきました。
そして全国から才能があったり、美人が集まり、 彼らの子孫が代々結婚し、時には没落した貴族、また異国の血を加えながら 絶えず優秀な血を取り入れ伝えてきました。
それが千年ほど積み重なって、今の京都人がいます。
常に最先端の文化に触れて、教養を身に付けてきた文化的エリート…. 京都人には中華思想が染み付いています。
現在でも世界に通じる技術を持った企業や、ノーベル賞を多く輩出する京都大学があります。
日本の発展の歴史の中に継続しています。
量より質を間ざし、常に世界一を目指すのです。
マーケットは世界です。