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水の歴史

京都は、水の都でもあります。

三方山に囲まれた、盆地特有の地形によって蓄えられ、琵琶湖並みの豊富な地下水脈が、都の下には広がっています。
そこに渡来人が住み着いたのです。

平安京の運河として、桓武天皇によって拓かれた堀川をはじめ、角倉了以の高瀬川、大堰川の開削・改修による舟運の発達が、京都の発展の基礎を築いてきており、これまでの京都の発展と舟運とは深いつながりがありました。
京都と大阪の交通は船が主でした。

伏見は豊臣秀吉が造った伏見城を中心とした城下町で、伏見港を利用して宇治川から淀川を経由して、大阪まで三十石船で行き来し、人とものを運搬しており、活気にあふれていました。

江戸時代、角倉了以によって開削された桂川は、亀岡に北に流れていたのを、運河にして南に流し、水運として経済の動脈となりました。又、伏見から、京都市内へ荷物を運ぶのに高瀬川を作り、近世京都の発展に大きな効果を発揮しました。

明治になって、人口が増え、都市にするために、琵琶湖の水を明治27年に京都に引き、多目的かつ効率的に利用し、産業や文化を育んできました。

その後の京都の発展に多大なる貢献をしていることはもちろんのこと、水路橋やトンネルなどは文化財としても価値があり、自然景観にとけ込み、いまでは京都の風景になくてはならないものになっています。

岡崎の邸宅郡は、その水を利用し、名庭園に引きました。

豆腐、湯葉、伏見の銘酒など京都の豊富な地下水を利用して、昔から京都において造られ、全国的にも有名であり、生麩や和菓子の製造においても地下水は大きな役割を果たしています。
また、京の底冷え、肥沃な土壌と、美しい川の水や地下水等、京都の自然条件が育てた京野菜は、精進料理や京漬け物としてあまりにも有名です。

さらに、染色業においては、川で糊や染料を洗い流す友禅流しも行われていましたが、昭和30年以降、水質汚染を理由に中止されることとなり、現在では地下水を利用しています。

http://www.tynyy5.net/kawa.html

 

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