「京都ぎらい」井上章一さんに物申す
公開日:
:
最終更新日:2021/04/22
ひとり言, 井上章一さんに物申す, 頑固おやじのひとり言
こんなタイトルをつけるのは、不本意ですが、ネット検索にはこれが一番だと思いタイトルにしました。私は「洛中も住人の目に見えないルールを知らはらへんのに、井上さんともあろう人がこんな本を出さはって、はずかしおすなあ」と思います。この本を買うのに大変に抵抗がありました。京都中華思想の私にとっては、井上さんがテレビに出演されて、曲解されているのを
とうとうと述べられているのを見て、視聴者がそれが京都と言われるのはやり過ごせないので、京都倶楽部の読者だけでも、京都の洛中の事を知っていただきたいと思いました。それには「京都ぎらい」を読まないとと思い、大垣書店に買いに行きました。ついでに「京の悪口」秦恒平さんの本も並んでいたので購入させていただきました。
京都の事を沢山「頑固おやじのひとり言」で書いてきましたが、読者が京都の何を知らないのか?何をしりたいのか、何を聞きたいのかわかりませんので、しばらく書いておりませんでした。井上さんが何を書いておられるのかを見ることも、参考になると思ったからです、井上さんは私の事をご存知かどうかは分かりませんが、私からは挨拶をさせていただいていました。
井上さんは、洛中に住んでもいないし、最初の洛中の人の言葉から、プライドを傷つけられ、入ろうともされなかったと存じます。学者故、自分の思ったのが正しいと思われているようですが、最初から、洛外のコンプレックスから取材に傾斜が入り、うわべしか感じられておられないのは十分理解できました。しかしながら、私は京都に生まれ、67年住み続けております。会社を洛中に置き、その中で体験したり、反論したりしながら、洛中の方からいろいろと教わりました。
京都では三代続かないと京都人と言われません。私の先祖は木屋町御池上ルのお茶屋で洛中でしたが、祖母が母を生んで直ぐになくなり、母姉妹は他人にもらわれて育ち、私の生まれたのは、
豊国神社(豊臣秀吉が祀られております)の門前の正面通です。京都の方に貴方は京都生まれですかと聞かれたら、ダウンタウン生まれですとお答えしておりました。近くには、鞘町、塗師屋町、問屋町、本町等があり、子供の頃は、竹屋さんが、竹を割いておられたり、扇骨が干してあったり、朝鮮征伐の時の朝鮮人の耳が祀ってある耳塚で遊んでいたりしたもので、稲荷神社の氏子地域で祭りの時は法被をきたり、武者行列に出させていただいたりしておりました。
子供の頃は、竹屋さんが、竹を割いておられたり、扇骨が干してあったり、朝鮮征伐の時の朝鮮人の耳が祀ってある耳塚で遊んでいたりしたもので、稲荷神社の氏子地域で祭りの時は法被をきたり、武者行列に出させていただいたりしておりました。
しかし、その祭りも、だんだんと縮小してしまいました。小学校時代は近くの日吉神社に行って、今熊野の陶器の窯の煙をみたり、そこから、東山つたいに、花岡山の天文台や、鉄製の火の見櫓に登ったり、帰りには清水寺の音羽の滝で水をいただき、ひのき舞台の下の石垣を登って、怒られたりしました。正面道の耳塚で転げまわったり、鴨川でヒルに食べられながらおいかわを追いかけたり、橋の上で凧揚げしたり、広場があればキャッチボール、京都国立博物館の塀をのりこえ、ザリガニ釣りをしていました。正月には、近所の家で百人一首等教えていただいたものです。ご近所の任天堂はかるたやさんでした、小学校は今はなくなっていますが、「歴史も古く貞教の」から始まる校歌の貞教小学校でした。商店街に生まれていたので、毎朝、近所の方にお会いすると、挨拶をするように、母から厳しく教えられておりました。それゆえか近所の方達にはかわいがっていただいていたように記憶いたします。
中学・高校・大学と同志社に学び?遊んでおり、京都の繊維商社に就職して、27歳で独立して、30過ぎに洛中の祇園祭りの鉾町でビルをお借りいたしました。若い時ですから、何もわからずに大家さんにお話に行きました。契約書を見て、何年ごとに家賃の見直しをするという事が記載されてあったので、どのくらい家賃が上がるのでしょうか?とお聞きしたら、長い事使ってくださるなら、よっぽどの事が無い限り家賃はこのままですとの答えが返ってまいりました。また、引っ越しの御挨拶は何軒させていただいたらよいでしょうか?とお聞きしたところ、町内全部と言われ十何件の引っ越し祝いを用意して行こうとすると、大家さんが連れて行っていただけるとの事でした。みなさん歓迎されている様に受け取りました。家内が上から見ていると、ご養子さんを父親が引率しているように見えたと言ってわらっていました。
その後私の友人が引っ越したみたいやなと連絡くれまして、なんで知ってるのと聞いたら、会社のある町内の同業者から、君の友達の会社が引っ越してきたと電話が来たとの事。大家さんが前もって、家族構成や会社の内容、私の履歴の様なものを御配りになって、あらかじめ町内中に内諾を取っておられた事を知ったのです。驚きましたが、やはり、誰に貸すかまで、気にされていると驚きました。
町内会の時に、新入りは末席にすわらされ、由緒ある町内に来られたのですから、祇園祭のお手伝いはよろしくと念を押されました。ハハツというしかありませんでした。祇園祭のお手伝いには社員を出しておりましたが、貴男もお手伝いに来てくださいと言われました。何故と聞けば、文化財を預かっているのだから、社員さんが壊したとなると、我々が申し訳ないし責任問題となります、社長なら仕方ないで済むんですと言われ、大会社の老齢の社長がステテコ姿で、人形や懸装品のほこりを払っておられました。町費は勿論、お祭りの寄付も徴収に来られます。
弊社が社員旅行で、祇園祭の時に留守にするので、何かご寄附をさせていただけないかと申し出ました所、ビールでも差し入れくださいといわれたので、4ケース程したかと存じますが、2ケースお返しに来られました。なぜなら、近所とかけ離れた事は止めていただきたいし、出来ればビール券にしていただければ、近くの交番所に渡すと言っておられました。
また、御近所の呉服屋さんが胴掛けを寄付すると言われたら、長老が、保存や修理の話をだされて、その呉服屋さんの旦那が、もちろん出させていただきますとお答えになり、寄付をするのに平身低頭でびっくりしましたが、みんな理由を聞くと納得する事ばかりで、長く続けるのにはやはり規律が暗黙にあるのだなあと感心しました。私は若くて新参者で、言われた通りにしたから良かったですが、これに対して拒否をしていたらと思うと、年長者の言われる事を素直に聞く事が大切だという事が身に沁みてわかりました。
- 1つ前
- 日本人の使命
- 1つ後
- 洛中に入ろうとした私・入らなかった井上さん