寺社の所領を明治政府が上地(上知)

公開日: : 最終更新日:2021/04/22 井上章一さんに物申す

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上地とは、政府が所領を召し上げる事です、明治には寺社の所領を大幅に上地したものであります、厳しい処分とは思っておりましたが、良く調べると、幕末にも行大名に対しても行なわれていて、廃藩置県と共に執行されたものです。
京都の名刹のオーナーは幕臣たちであり、維持費等などは幕臣等が払っていたのだから、それを返してもらったと考えればいいし、維持費を貰えないなら、寺社も必要な所以外は、所有している必要はありません。また、人口の少ない時代ですから、土地の値打ち等は殆ど無価値であったと思います。
その為井上さんが書かれている様に、嵐山等はすさみきていたのでしょう。
江戸幕府が京都を支えだと言われるのはそのおかげと言われています、本山にして浄剤を集めさせ、寺社が自立できる様にもしていた。寺社が戸籍係をしているふしもあります。
明治以前の系譜は、お寺の過去帳をみるとおたどれる事があります。
現在は拝観料を取って、納税しない事を井上さんは憤っておられますが、拝観料収入が莫大な所は少なく、取られていない寺社も多いです。
宗教心が薄れつつある寺社は、檀家収入や墓地収入、お賽銭等の減少が心配である、これからも数百年は継続させていこうと思えば、修復費や建て替え費など維持費を行政任せには出来ないと思います。
清水寺ですら、門前町が疲弊した時期があり、門前町の努力の結果、現在の盛況の恩恵をもたらしています。

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    • 2025年1月14日
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