何故京都に花見に来られるの?
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最終更新日:2021/04/22
頑固おやじのひとり言
三月になると、桜の名所でどこがおすすめと聞かれます。桜なら全国にあるのに何故京都にこられるのかとちょっと疑問でした。今で言う、写真に神社仏閣が写るインスタ映えがいいのかなあと単純に思っていました。
お花見は、古くから日本人が親しんできた行事です。始まりは「お花見=梅の花」だったのです、お花見は、奈良時代の貴族が始めた行事と言われており、当初は中国から伝来した梅の花を観賞するものだったようです。
子供のころに遊んだ、小倉百人一首を思い出しました。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
大宰府に流された、菅原道真の和歌です、北野神社に祀ってあり、梅花祭が行われています。平安時代に入り、お花見の花が梅から桜へと移り変わっていきました。桜の花でのお花見の起源は、「日本後紀」によると、嵯峨天皇が神泉苑で催した「花宴の節」という宴であるとされています。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
以前は貴族の行事だったお花見ですが、鎌倉・室町時代に入ると武士階級にも広がっていきました。有名なのは、豊臣秀吉の「吉野の花見」や「醍醐の花見」ではないでしょうか。
「吉野の花見」は、徳川家康や前田利家、伊達政宗などの名だたる武将や茶人・連歌師など、参加者総勢5千人にも及ぶお花見だったといわれています。
「醍醐の花見」は、お花見のために700本の桜が醍醐寺に植えられ、豪華絢爛に茶会や歌会などが催されたとか。お花見とセットで親しまれる「三色団子」も、この時振舞われたのが最初だと言われています。
京都には、嵯峨野、紫野、化野,鳥辺野等野がつくところは、昔は土葬だったので墓所でした。それなので、桜を植えてにぎやかにして先祖の供養をする為に、民衆の花見が始まりました。寺社に多いのは、樹木を大事に育てて来た歴史が残っています。
京都円山公園の桜も、明治初年、この付近の地が官有地に編入され、樹木が伐採されようとしたとき、京都府の役員の明石博高氏が名木を惜しみ、譲り受けて京都府に寄贈し、のちに円山公園が京都市に移管されるに伴って、市の管理となりました。初代の桜は、樹齢200余年、根廻り約4メートル、高さ約12メートルに及び、明治中頃には盛観を極めたといわれています。現在の桜は、15代佐野藤右衛門氏により、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、昭和24年(1949)に寄贈、植栽されました。いまだに代替用の桜も育てられています。
江戸時代ごろからはソメイヨシノと言って、一斉に咲く桜が出来(クローン)、各地に植えられました。しかし、樹齢は60年ぐらいです、自然のものなら山桜等、樹齢1000年の桜も、各地に少し残っています。
このように、丹精込めて育てている方が京都には多いので、歴史を感じる事ができ、他の地域の桜とは違うのかも。
桜を切るバカ、梅を切らぬバカということわざもあります。
桜の花は、枝が細かく分かれた更にその先に咲き、主に枝の先端に花芽が多く付きやすいため、一度剪定して新たに伸びた枝の途中には花が咲きません。
桜の枝を折ったりしてはいけませんね!