祇園祭り
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
7月に入り、京都は祇園祭です、明治10年までは、祭神は牛頭天皇、旧暦6月7日が神幸祭14日が還幸祭であったのが、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)新暦7月17日、24日に変えられました。
正式には祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)で、起源は863年と言われています。
朝廷主催で、現在の二条城の南部分の神泉苑にて御霊会が開かれ、御霊たちを鎮める為に、歌舞音曲の趣向をこらしなだめ、疫神を祀る事により、疫病やその他の災厄から逃れる為にするのである。
現在に置き換えると、口蹄疫や、集中豪雨等の災害に会わないためでしょう。
京都では祇園祭りの神幸祭がすむまで、梅雨は明けないと思っています。必ず降られるお祭りです。
10世紀末から11世紀頃には、神仏習合の社殿として祇園社が成立し、毎年行われるようになった様です。
その頃には東御座(八柱御子神)、西御座(稲田比売姫)、中御座(牛頭天王)の三基の御輿が渡御をして1000年後の今日まで続いています。
祇園祭りの有名な鉾(ほこ)や山は、14世紀から15世紀室町時代に武器として原始的な鉾(長刀もこの一種)を飾り立て、周りで歌舞を演じていたような行列で、京都の富裕な商人達が競って飾り立ててきたのが源流で、織物(胴掛け)、金工、彫刻、塗り、絵画、飾り紐、人形等が町衆から奉納されています。
現在は32基の巡行です。厄除けのお守りとして、各町内が競って趣向をこらした「粽」「茅巻き」を販売しています。
http://homepage3.nifty.com/kyotosanpo/kyotodensetu/yasaka.html
明治維新の「神仏分離」と「新暦」により、神社と寺院を明確に分けられ祇園社から 八坂神社の名前になりました。しかしお祭りは祇園祭りのままで行われています。
最近では「女人禁制」も段々とゆるめられています。時代時代によって変遷はしつづけています。
24日の後のまつり花笠巡行や還幸蔡もご覧下さい。
http://www.e-kyoto.net/saiji/203