借景の活用
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
昔から、お寺や豪邸を建てる時には、借景を取り込んで建てていました。
岡崎の別邸、嵐山、嵯峨野、北白川、鴨川沿いなど、もう既に存在している力(景観、景色など)を取り込んで行く事を心得た町です。
自然の力を無視し、構築しすぎるといつかはつぶれる。
京都は川があり、鞍馬や比叡山からの水で京野菜を育て、漬物等にし、豆腐や麩・湯葉をつくり、 茶道はこの水脈に庵を建て、きものやさんは糸や反物を染めたりし、その水が一旦地下にもぐって伏し水となり、 桃山の御陵からの水とで伏見の酒となっている。
宇治のお茶もそうです。
自然は征服するのではなく、共生するものなのでしょう。
京都の工業は、明治時代にヨーロッパの最先端技術を伝える舎密(せいみ)局化学を意味する「chemie」から来ている。
島津製作所の島津源蔵はここに出入りする間に試験管やフラスコを作ったりし、それは医療器械等に発展しました。
「GS」バッテリーは彼のイニシャルを取ったものです。
また京都大学があったために多くの技術者の供給がありました。
花札から任天堂。陶器から村田製作所、京セラ。織機から村田機械。はかりからイシダ。などなど昔からあったものの発展形で大企業になった所が多い。
印刷技術からプリント技術を使いプリント基板等の大手になった所もある。
知恵と開発ノウハウは京都で製造は他所が多い。
有る力を利用して大きくなっていくわけです。
大丸百貨店、高島屋、伊藤忠、丸紅、三井、住友、鴻池(三和)等も京都から発展していった企業も多く、いまだにその歴史が刻まれているところがあります。
「変えずに来た事の努力に、敬意を表したいと思います。」
JR東海「そうだ京都、行こう。」より