対立は不毛である事
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最終更新日:2014/04/28
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
最近正しいか正しくないかの理論が、対立をおこしています。
「法規範に外れれなかったら大丈夫」、「社会規範は古い観念で打ち破られるべきだ」という考えで、若い人達が台頭してきました。
先頭に立った坂本龍馬は暗殺されますが、二番手はうまく既勢力を味方につけて自分達の目的を成就させました。
最近の話題でいえば、ライブドアが斥候として行き、最後は、ソフトバンク。
出来レースをしているのではないかと疑う程でした。
孫さんは、今までの成功者と対立をしないで、自分に取り込んで味方につけ、後でホワイトナイト役で出てくる。
明治の時代と良く似ていますね。
私も昔、自分が正しいと思った話を友人のお父さんに話をしていた時、そのお父さんから、「正しいよりも、敵を作る事を何故するのか。」 、「敵を作ることによって、正しかったとしても今後やりにくくなりますよ。」とお教えいただいた事があります。
農耕民族の日本人社会です。
正誤より、年齢順、強弱、性別等、色々な常識のものさしで評価されます。
こんな常識がまかり通る世の中もいいんじゃないかとかんがえます。
京都では三代京都在住者が京都人と言われます。
私も三代は京都ですが、私は京都が好きで、京都にとっていい事をしていただける方、 継続していく為の努力を大事にしていただける方なら京都人と言っていただいても嬉しいかぎりです。
同じような常識が通ずる世界で生きる方が心地良いとかんがえています。
昔八坂神社の宮司さんに「氏子さんの条件はと?」お聞きした事があります。
お答えは「手を合わせて、願い事をされる方が氏子です。」とおっしゃいました。
住むと言う事実よりも、精神的なものさしで計られていると悟りました。
「京都が嫌い」と言う、京都在住者がおられたら、「何処に住む自由もありますから、どうぞお引越ししてください。」という意地悪な事を出来るだけにこやかに言う様につとめています。
きつい事言われたと言われたくないために…。
- 1つ前
- 借景の活用
- 1つ後
- やはり対立は不毛であった