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鞍馬の火祭り

公開日: : 最終更新日:2014/04/27 京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言

十数年前初めて、友人が貸しきっているおうどんやさんの二階での『鞍馬の火祭り』見物に招かれました。

そこは今から思えば言わばかぶりつきで立地最高の観覧席でした。
出窓に出ていると松明でススは鼻に入り、掛け声の「祭礼や、最良(サイレイヤ、サイリョウ)」を大声で掛ける。

最後には声が出なくなってなってまいりました。

大変満足して帰った思い出です。

それから毎年の恒例行事のように誘って頂くようになりました。「今年はいいかなぁ」(ご遠慮しようかな)と思う時もありましたが、友達から連れて行って欲しいと頼まれ、 結局毎年一緒に行っています。

ある年、祇園祭のお神輿を長年担いでいる友人で、元ウエイトリフティングの選手に「火祭りで松明を担ぎたい」と頼まれ、私もきこり役になって出ました。
その風貌とキャラクターであまりに友人が目立った為、ニュースは彼ばかりが映り、地元の皆さんからクレームがつき、翌年からは祭りに参加出来なくなってしまいました。
残念でしたが、それは仕方がありません。

歴史を紐解くと、鞍馬や八瀬は細い街道の日本海や琵琶湖につながる道で、京都御所が攻められた時には、逃げ道として利用出来る様になっていました。
その為、村では帯刀が許され、鎧兜まで持っていたわけです。
火祭り当日は各々の家がそれらの鎧兜などを飾り、披露されています。

昭和天皇がお亡くなりになった時、棺を担いだのは八瀬童子です。

歴史は残っているのですねぇ。

松明を担ぐ姿は手甲脚般姿で、ふんどしには相撲取りの様に前裁きをつけ、肩あてをつけ、地下足袋をはき、女物の長襦袢を羽織るというとても奇怪な出で立ちです。

クライマックスには、由岐神社前の石段に各家々から集まった大松明を30本ぐらい並べて立て、火の子をかぶりながら、神輿が降りて来るのを待ちます。

神輿の先端にその年の若者がふんどし姿で、空に向かって大股開きをするという慣わしになっています。

京都の人でも殆ど見たことの無い「京都三大奇祭」の一つに数えられる祭りです。

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