祇園まつりお御輿
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
祇園祭の山鉾巡行は町衆の祭であって、夜の御神輿の為の、都大路のお祓いをしたものです。
八坂神社の神事の御神輿は10日の御輿洗式17日は神幸祭(八坂神社より祇園地域を廻り四条の御旅所まで)24日は還幸祭(御旅所から神泉苑、三条、八坂神社)28日も御輿洗い(四条大橋)です。
四基が出ます。
中御座(牛頭天王・六角形・三条若衆)
東御座(ヤハシラノミコガミ ・四角形・四条 若衆)
西御座(櫛稲田姫・八角形・錦市場)
子供御輿。
「エイサー・ヨイサー」のかけ声で1000名ぐらいの担ぎ手がいて、その中には50年連続参加されておられる方もおられます。
この巡行の先頭を切るのは久世駒形稚児で、神幸祭には稚児は騎馬のまま正面南楼門より参入し、舞殿を三周して昇殿、祭典に参列し、玉串を奉って、拝礼から始まります。
還幸祭は御輿が本社に帰った後、暗がりにして昇天の儀がおごそかに執り行われる。
スサノオノミコトは天照大神の弟神で、神話では乱暴すぎて天照大神が天岩戸 にかくれられ、八百万神がお集まりになり、神楽を奏して岩戸からお出でになった事は有名ですが、天高原から追放され諸国を流浪され、辛苦の末に出雲で八俣大蛇を退治し櫛稲田姫をお助けになり、結婚されました。
世の中の禍いや、疫病を退治して頂ける、我々の苦しみを引き受けてくださる、素朴で人間的な性格で慕われていました。
祇園祭では牛頭天王と同じと思われています。大国主命は彼の6代後の子孫であります。
明治元年までは、八坂神社は祇園社と呼ばれておりました。