時代祭
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最終更新日:2014/04/27
京都ってこんなとこ, 頑固おやじのひとり言
1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して京都で内国勧業博覧会が催され、平安神宮が創建され、その南側を西洋風の立派な会場にしました。日清戦争で戦っていた時代でありました。
http://www.ndl.go.jp/exposition/s1/naikoku4.html
琵琶湖第一疎水も完成し、水力発電も始まり、内国博覧会会場の外に正式な交通機関として日本ではじめて市街電車が登場して。
運行は、京都七条から会場の平安神宮付近まで。又、南の伏見方面にも走り、京阪電車の起源ともなった。電力時代の幕開けを象徴するものと言えよう。
何かと話題の多い博覧会であったが、入場者数も113万6,695人に達し、大変な賑わいの中で終了した。
また、道路・旅宿の整備が進み、京都の観光都市としての基礎が作られた。
平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として時代祭が始まった。
祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。
この祭の特色は、時代風俗行列が行われることである。明治維新から 平安時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現する。
現在は20列、2000人に達し行列の長さは2キロに及ぶ。
http://www.e-kyoto.net/saiji/205
時代祭りの参加者は、毎年輪番制で学区ごとで列を担当し選ばれます。
行事開始から100年以上経って、平成19年より室町時代列として新たに行列に加わりました。
それまでは、室町時代とはすなわち足利時代であり、その足利幕府の建設者である足利尊氏は明治において「史上最大の逆賊」として京都では徹底的に否定された歴史があります。
またその孫の足利義満は明から「日本国王」に冊封され、皇位簒奪まで企図した疑いがあり、これもまた足利=逆賊の一例とされていたので、行列には参加が出来ていませんでした。
江戸時代の徳川城使上洛列はありますが、徳川将軍等は入っていません、尚、維新行列の中には新選組等も入っておりません。
時の行政は薩長の人々で構成されていたからでしょうね。
行列には、知事、市長、商工会議所会頭等も参列される、市民の祭りでもあるのです。
衣装や道具類は時代考証され、伝統工芸士の手により、作られたものばかりですから、見応え十分です。
1998年,京都市とパリ市の姉妹都市盟約提携40周年を記念して、パリにて時代祭行列がされました。