日本人と神道 3
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最終更新日:2014/04/27
ちょっと記録, 頑固おやじのひとり言
京都では、祇園祭の真っ最中です。
お祭りは、みんな勿論ボランティアです。
ちまき 売りの少女から、お囃子、鉾引き、お手伝い、巡行者、神輿担ぎ、早い人なら年初から準備や行事に参加されています。
それは、先祖からのしきたりではありますが、殆どの方は喜んでされています。
それも、案内は各々1枚の紙が回って来るだけで、日時どおり進んで行きます。
それを軸としてのべ数百万人が参加し、大した事故も起こらずに挙行されます。
お伊勢さんの式年遷宮なら、数千万人が参加されるでしょう。
与えられた義務を粛々と果たそうとしている人々の陰の努力があります、毎年継続されているから出来る事でしょう。
明治維新後、日本は欧米等西洋文化を追い求め、近代化への道をひた走り、欧米文化を吸収し、自国文化として今日まで経済大国となりました。
現在の中韓もそれに追いついてきていますが、昨今の国際外交を見ていると、自国の利益になる事なら、なんでもありのごとくの振る舞いは、心を失った、恥と思わない国としか見えません。
自分さえ、自国さえ良かったらという、さもしい根性しか見えてきていません。
日本は日本の物差しで他国を見ているから、腹が立ってくるのでしょう。
「衣食足りて礼節を重んじる」筈の日本ですから、まだまだ、中韓は精神文化が乏しい国なのだという大人の解釈をすべきではないかと私は思っています。
第二次世界大戦中戦後の経験をされてきた両親を持つ世代は、まだ、日本の精神性を教えられた記憶が支配していますが。
今の40歳代以下の教育には完全に戦後教育で育ち、受験の為の教育を受け、道徳や倫理感情的な影響を受けずに育ってきた者も多いです。
欧米文化至上主義の中で「先進国から遅れるという呪縛の中で」判断を間違ってきたことも多かった様に思えます。
特に、四季を通して自然と共生し生活する“生き方”、人格形成に影響を及ぼす“しつけ教育”や、“読み書きそろばんなどの基礎教育”、合理化を追求することで失われた“もてなしの心や遊び心”でしよう。
昨今の混沌とした空虚感に満ちた世相を顧みると、我々日本人が悠久の歴史のなかで培ってきた、日本精神を再認識することが必要であり、ただ学校教育にゆだねるだけでは無しに、家庭教育でも祭礼などへの積極的な参加を促したい、我々は両親から、悪いことや嘘をつくと、必ず神さんが見てられるよと戒められました。
又人類は自然の恵みによって生きている生物存在であることを再認識し、自然との調和の中で生きていく道を確立しなければ、人類は滅亡の道を歩むことになるでしょう。
花を見て美しいと思う心が美の世界を開き、不思議さを見てとれば自然科学の心が芽生え、そうした自然から受けるさまざまの感動から、自然の力をエネルギーにしようとする試みが、太陽光発電や、地熱発電、風力発電、バイオマス等が盛んにおこなわれています。
第2次世界大戦の敗戦を機に米国を中心とした欧米文化の吸収力は、単なるあこがれや模倣ではない自国文化として昇華し、その原動力は経済大国といわれるまでになりました。
又、自然の作物からの健康食品が生まれてきています、もう一度、自然界から学ぶ姿勢を取り戻すべきと考えます。