戦前の教育と戦後教育
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最終更新日:2014/04/27
それちゃうやろ, 頑固おやじのひとり言
先日、大学教授から、忠臣蔵を知っている学生が、5パーセントもいない事を聞かされ愕然としました。
昔に経済学部の学生で、九九を知らない学生がいると聞いたことを思い出しました。
受験科目に数学を取らなければいいだけと聞きました。
小学校でも、先生が本を開けなさいと言っても、開けない生徒もいる様です。
最近は韓国が日本は歴史認識を改めろと言っていますが、改めるのではなく教えてもいないし学生は知らないだろう、いや、40歳代以下の人は知らないでしょう。
そんな学生をどう教育するかは、至難の技と言うしかありません。
戦前の学制は基本的には6年制の尋常小学校が義務教育になります。
それを卒業した後は色んな線に分かれますが、中心となるのは中等学校(中学校、工業学校、商業学校、高等女学校、家政女学校など)で、その上に高等学校→大学とあるのがいわば王道です。
それ以外に中等学校へ行けない、行かない人のためには2年制の高等小学校がありました。
そして高等学校と平行する高等教育機関としては各種の専門学校、師範学校などがありました。
先ほどの、戦前教育における「修身」授業は、その基に、しっかりした理念を持っていた。それが「教育勅語」だったのかも?
この教育勅語を、戦前の子供たちは小学校の低学年のころから暗記させられたので、言葉をそらんじられるようになっただけでなく、何度も繰り返しているうちに、その意味・内容までも深く理解できるようになった。
知識より先に、人間教育を受けるのがさきだったのでしょう。
「教育勅語」の内容を。私も知らなかったので、載せておきます。
1.親に孝養をつくそう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしもう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
9.人格の向上につとめよう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
12.国難に際しては国と天皇のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
アメリカ式教育の根本は、「国民の育成」にあるという。
そして、アメリカに限らず近代教育の柱の一つは、「社会に適合するような人間を作ること」であるのだそうだ。
この考え方によると、戦後の日本の教育は堕落していると言わざるをえない。
愛国心が重要だと口では言うものの、それを育むカリキュラムが全くない。
歴史教育に関しても、日本がいかに陰惨なことをしてきたか、ということを教えて、日本の輝かしい部分は強調されない始末である。
歴史教育と歴史研究は違う。歴史教育では、自分達の先祖が作り上げてきたもののありがたさを強調すべきである。
歴史研究で、その栄光に隠された真実を明らかにすればよい。
また、社会に適応できる人間をつくるという観点も、日本の教育にはすっぽり抜け落ちている。
おびただしい知識を詰め込む教育が行われ、受験に通ることという「絶対善」が掲げられている。
公的精神を身につけようだとか、世のため人のために生きようだとかいった教育理念などは、まるで無いそうです。
民主主義の精神を一面的にとらえ、ただ単に個人個人の人間の権利ばかりを主張した、一面的な教育論に過ぎず、そのため、個々の人間が学問的知識を身につけるための機会を得る権利ばかりを主張し、公のために生きるという精神の教育は無いに等しい。
教育勅語を基本に人間教育をすることに、道徳や修身を初頭教育で教えて、人間形成をしてから、高等教育を授けるべきです。
今の時代なら、何かを知りたいと思えば、パソコンで検索すれば、最新の情報を教えて頂けます、それの真贋を見る目さえ持てれば、その分野の得意な先輩に教えてもらう方が近道であり、それの方が正しい知恵となるように思います。
未熟な人間が、高度な知識や技術や権力を持つ方が、社会的に悪影響が多いと存じます。
私自身も、大学を卒業してから、社会に大いに勉強させていただいた様に思います。
それは、常に自分で判断を下し、失敗しても自己責任と思い、反省と自分の行動を改善させてきて徐々に成長させていただいているように感じます。
そのバックボーンには、親や先達の教えがあった様に思えます。
ユダヤの格言にあります。
「牧師の言う事は聞け、牧師のすることは真似をするな」
正しい意見と、その人の行動は別かもしれないが、正しいと思えば真似をすべきでしょう。反面教師も教師です。