紅葉探索(三尾)
最近は京都の紅葉の名所と呼ばれる場所が変わってきました。 広告のせいでしょうかねえ。 人ごみに流されながら紅葉を見るという様な見物の仕方になってまいりました。 40年ほど前、京都で紅葉名所と言えば、『高雄』『清滝』でした。 清滝までバスで行
最近は京都の紅葉の名所と呼ばれる場所が変わってきました。 広告のせいでしょうかねえ。 人ごみに流されながら紅葉を見るという様な見物の仕方になってまいりました。 40年ほど前、京都で紅葉名所と言えば、『高雄』『清滝』でした。 清滝までバスで行
十数年前初めて、友人が貸しきっているおうどんやさんの二階での『鞍馬の火祭り』見物に招かれました。 そこは今から思えば言わばかぶりつきで立地最高の観覧席でした。 出窓に出ていると松明でススは鼻に入り、掛け声の「祭礼や、最良(サイレイヤ、サイリ
私の大学の同期で、彼の友人の陶器屋さんのお父さんの影響で、学生の頃、お茶屋さん遊びにはまり、会社に勤めてからも足しげくお茶屋に通い、 『常磐津巴博太夫 柏貞君一』という名取になった御仁がおります。決して上手とは思えませんが。 トップページの
京都人とイタリア人と似ている所と全く違うところがあります。 京都は気に入られたらとことん尽くしていただける所があります。 「一見さんお断り」とよく思われていますが、ちゃんとした身なりで失礼なくお願いすれば、「どうぞ、ようこそお越し下さいまし
イタリア人は人生は楽しくなければ生きている意味がないという人種であります。 全く私も同感なので、イタリアに惹かれて何度も行っているのかもしれません。 「郷に入れば、郷に従え」と言うことわざは英語でいう「In Roma do as Roman
今年の五山の送り火「大文字」の日は、金閣寺近くの友人の家に招かれ、大人数での宴会でした。 八時にはベランダに上がり、大文字の点火を待ちました。 時間通りに点火されたのですが、丁度「大」の字の前に電信柱が立っており、情緒を台無しにしていました
京の家は夏向きに作れと申します。 昔は暖をとるためにはおこたや火鉢を利用したり、たくさん着て着膨れさせたりしていましたが、夏は氷柱ぐらいしか無かった為、 風通しが良くなる様、間口が狭く奥行きが長い造りに家を作りました。俗にいう「うなぎの寝床
鉾には、車で言うボディーの四面は、胴掛けと呼ばれる絨緞のような物で飾られております。 これは寄贈品で、ペルシャじゅうたんや、ベルギーの旧約聖書を題材とした織物、仏教の経典、インド、中国、朝鮮等の胴掛けなどや、又、京都在住の染色作家デザインの
七月の声を聞くと、夜になると祇園囃子の練習の音が聞こえてまいります。 小学生から、老人までが一緒に練習します。先ずは鉦(かね)からが初心者の入り口です。一人前になるまでは、鉾にはのれません。 ♪コンコンチキチン♪で代表されますが、メロディー
自分のお気に入りの場所を水場といいます。 子供の頃、カブトムシがいる所や、魚の取れる所、水晶が取れる所など、なかなか友達は教えてくれませんでした。 皆が行くと取れなくなったりするからです。先輩のお兄さんに教えてもらうぐらいしかありませんでし
どうしても自論を持っていると、正面衝突する事があります。 相手のほうが明らかに間違っている事でも、それを指摘してしまうと反発される事も多いです。 その点、京都のお年寄りは、かわし方が上手な人が多いです。 相手をへこまさないで自論にうまく誘導
そろそろ桜の季節ですねえ。 京都は三月末頃から、種類によって順々に咲き始めます。 円山公園には800本の桜があり、特に有名なのは、大枝垂れ桜です。 屋台がでたり、ござを引いて花見宴会風景が繰り広げられます。 この大枝垂れ桜には、佐野藤
ようやく暖かくなり「今年は春が早いのかなあ」と思っていたら、雪混じりのしぐれがあったり、やはり日本は、旧暦にした方が分かり易いのではと思っております。 最近、日本の歴史も知らないうちに、子供の頃に習ったのとは変更されたりしていますね。 井沢
旅館、料理屋、お茶屋さん等、電話で予約致します。 次も利用しますので、違約は出来るだけしない様に心掛けます。キャンセルする事は原則的にしません。 高級な所ほど、その為に色々と準備をなさるからです。 やむを得ない場合は出来るだけ早く、お断り致
昨日、お寿司屋さんに友人夫婦から招かれて行きました。 隣の席は埼玉県浦和からの熟年夫婦でした。 ホテルの紹介で来られて、今回三度目の来店との事です。 京都は同じ場所でも時期が違えば景色が変わり、また来る度に新しい発見があるので、年に何回も来
南北の通りは東大路通、西大路通、大和大路通(奈良につながる)、河原町通、堀川通、烏丸通。 東西の通りは北山通、北大路通、今出川通、丸太町通、一条から十条通。 交差点の呼び方は西大路五条、烏丸丸太町、三条河原町と縦横の通りの名を合わせて呼びま
794年に京都に遷都があった事は周知のことで、 中国長安の都城制の長所を採用し、山に三方囲まれた京都の自然を活かし平安京ができた。 風水の思想も取り入れ、四神相応、北(船岡山・玄武)緑、南(巨椋池・朱雀)赤、東(鴨川・青龍)青、西(山陰道・
今回の永田議員の代表質問は、功をあせる事により、墓穴を掘った様な形であります。 勿論、対立政党であるからそれが使命なのでしょう。 対立を避けながら自民を正す方法がなかったのか、若しくは、国対に対立回避の立場の議員を入れておくべきではないのだ
最近正しいか正しくないかの理論が、対立をおこしています。 「法規範に外れれなかったら大丈夫」、「社会規範は古い観念で打ち破られるべきだ」という考えで、若い人達が台頭してきました。 先頭に立った坂本龍馬は暗殺されますが、二番手はうまく既勢力を
昔から、お寺や豪邸を建てる時には、借景を取り込んで建てていました。 岡崎の別邸、嵐山、嵯峨野、北白川、鴨川沿いなど、もう既に存在している力(景観、景色など)を取り込んで行く事を心得た町です。 自然の力を無視し、構築しすぎるといつかはつぶれる